2012/03/31
京都大学の原子炉実験所助教 小出 裕章氏の机にはいつもピカソの「ゲルニカ」が飾られている。
スペイン、マドリードのプラド美術館別館で「ゲルニカ」の実物を見たのは確か1987年の夏だった。ちょうどチェルノブイリ原発事故の起こった翌年だ。
「ゲルニカ」はスペイン北部・バスク州の小都市の名前である。1937年、スペイン内戦下、独裁者フランコを支援するナチス・ドイツが非戦闘員である住民を、史上初めて、無差別絨毯爆撃したといわれる地である。科学と技術の高度化によって到達した、人類の暴虐性の新たな段階を描いたのが「ゲルニカ」である。
当時、私は戦争と原発事故に通低する暴虐性には思いが至らなかった。
「汚い爆弾」とは通常爆薬を使用して放射性物質をばら撒く爆弾である。核分裂や核融合の巨大なエネルギーを利用する「核兵器」とは区別され「放射能兵器」と呼ばれる。「汚い爆弾」は通常、テロリストによる使用が危惧されている。しかし、その「放射能兵器」としての軍事戦略上の効果については、広島、長崎での原爆投下、その一年後に行われたビキニ環礁での「クロスロード作戦」と呼ばれる2回の核実験の検証により、すでにはっきりと認識されていた。1947年6月に纏められたクロスロード作戦の極秘最終報告書には原爆の「核兵器」としての有効性に加え「放射能兵器」としての有効性が次のように記述されている。
この文章を読むと、「放射能兵器」の効果が原発事故の被害にそのまま当てはまることに愕然とする。まさにここフクシマで生起していることは「汚い爆弾」による攻撃そのものではないのか。そしてその想定がすでに1947年の時点で、とっくのとうに、はっきりと認識されていたのである。ワトソン・クリックがDNAの二重らせん構造を提唱したのは1953年だ。しかし、放射線による影響はそのずっと以前から原爆症という形で認識されていたのである。
しかし、65年もの昔の想定だ。この認識も分子生物学や科学の発展によって大幅に修正が加えられているのだろうか。IAEAのチェルノブイリ報告書やチェルノブイリ視察にのこのこ出かけたフクシマのお偉い先生や首長様どもは、放射能の影響などはほとんど無く、間違った情報による恐怖心やストレスこそが病気の原因に他ならないと公言してはばからない。
そうだとすれば、「汚い爆弾」による恐怖も又、幻想だということになる。例え敵性国家やテロリストが「汚い爆弾」を炸裂させたとしても、「ばっかじゃねえ?そんなもん効果ねえだろ(爆)」と高を括って気にしないですむはずだ。
では、下記の情報や記事はどう理解すれば良いのだろう。
原子力安全・保安院はセシウム137(半減期約30年)の放出量を単純比較すると、福島第1原発は広島原爆の168.5個分に相当すると試算している。つまり、フクシマでは、現象面で言えば、広島原爆168.5個分に相当する「汚い爆弾」が炸裂したことになる。原発事故の「放射能兵器」としての禍々しさはその爆発の映像に如実に現れている。特に3号機の爆発映像を始めて見たときの私の感想は「げえっ!き、きのこ雲あがってるやん。めっちゃやばくね?」というものだった。そして、今年の3月11日の前後に放映されたNHKの特集では原発爆発の映像が実に丁寧に拭い去られていたのである。
ちょっと想像してみて欲しい。どこかの「ならず者国家」やテロリストが日本のどこかで「汚い爆弾」を炸裂させたとする。日本政府はどんな対応を取るだろうか。まさか、「ケケケッ!年間100ミリ浴びても影響ないんだぜい。意味無いじゃーん」と放置するだろうか。直ちに住民を避難させ、直ちに除染を行い、苛烈な非難と報復をがなりたてるのではないだろうか。北朝鮮がロケットを打ち上げると公言しただけで、大はしゃぎで、大層高額な割には迎撃性能の低劣さに定評のある迎撃ミサイルを石垣島にまで配備する国である。北朝鮮の核開発の端緒は1980年代後半から行われた、かの有名なIAEAによるウラン鉱山開発援助だということに、いつまでほおっかむりするつもりなのだろう。
しかし、「汚い爆弾」を炸裂させたのは、敵性国家でもなければテロリストでもなかった。なんと一流巨大独占企業である東京電力そのものであった。日本政府による東電への苛烈な非難や処罰は有ったか?全く、無い。むしろ、東電の傍若無人を看過し追認している有様だ。
なぜなら東電は大事な原子力村のお仲間だからだ。政府自らも、責任を逃れ、賠償をケチり、原子力村の権益を守る必要があるからだ。だから「広島原爆168.5個分に相当する「汚い爆弾」が炸裂した」という事実を矮小化するために血道をあげているのだ。
しかし、見て見ぬ振りをしたからといって「広島原爆168.5個分に相当する「汚い爆弾」が炸裂した」という事実とその被害が胡散霧消するわけではない。
広汎な生命、身体、財産などの人としての権理に対する蹂躙と侵害は、放置され、隠蔽され、継続され、強化されている。しかも、これはこの国の公権力、立法、行政、司法、地方公共団体がよってたかって行っていることである。異人種でも、異民族でもない、国家権力に敵対する勢力でもなく、その思想を共有する者でもない、真っ当な自国民であるフクシマの人々に。この状態を何と呼べば良いのだろうか。私には「ファシズム」という言葉以外思いつかないのである。
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