原発事故被災者手記
ぽて人の郡山便り

この状態を何と呼べば良いのだろうか。私には「ファシズム」という言葉以外思いつかない

2012/02/22

9.湯浅誠氏の終了と反貧困フェスタ in ふくしま

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私は震災前から反貧困の活動に取り組んできました。2月11日は原発関連の興味深い集会や講演会が目白押しでしたが「反貧困フェスタinふくしま」には宇都宮健児氏、湯浅誠氏 雨宮処凛氏など錚々たるメンバーが大挙して福島に来るということで、この集会に参加することにしました。

貧困の問題は社会の矛盾が先鋭化して現れる現場です。どんなに「風評被害」だの「年間100ミリシーベルトは安全」と強弁しても、原発大爆発による実体的な経済的な損失や沈滞は如実に存在しているわけです。そのような問題が、現在の除染を中心とした復興の枠組みで対処できるわけは無いのです。

3.11以前においても、複数の不測の事態、例えば親の認知症と自分の失職などが重なるなど、があると一気に貧困の滑り台を滑り落ちるというケースが多々ありました。そして、滑り落ちたとたん、一気に周囲は関りを絶ち、共助の輪から排除され、本人も自己責任という呵責から声を上げることができず、貧困の闇に飲まれるのです。

3.11はまさに貧困の滑り台を滑り落ちる不測の事態を多くの人々に与えました。郡山市内の仮設住宅に住む人々は原発事故のせいで、何もかも失い月一人10万円程度の慰謝料で暮らしています。本来ならば新しい生活に踏み出すために纏まった補償金が支払われるべきなのですが、フクシマに縛りつけ、補償金を値切るために生かさず殺さずという状況におかれています。そして、アルコールやパチンコに溺れる人や家庭内暴力などが増えています。この慰謝料は仮設住民の帰還を睨みながら今年中には打ち切られることになりそうです。

補償の対象にならない郡山の人々はどうでしょう。震災後4月ごろからハローワークは大賑わいで雇用保険の特例措置を求める人々でごった返していました。しかし、そろそろその特例措置が打ち切られます。特に女性の事務系の仕事が無いことが問題となっています。又、やはり4月ごろですが福祉センターでは社会福祉協議会が20万円の特例貸付を行っていましたがここも大混雑でした。一時は除染バブルに福島は踊るでしょうが、大量の非正規被曝労働者が生み出され、通り一遍の除染が終われば効果の有無に関らず遺棄されることでしょう。又、自主避難をした家族においても同じように貧困の危機は訪れます。

医師や看護士、福祉施設での介護士の流出は全県で止まらず、医療や福祉の現場はえらいことになっています。介護の負担が家庭に押し付けられることにより、失業や減収に拍車がかかり家族の苦難は震災後一層強まります。

明らかに、震災と原発事故により福島の実体経済は打撃を受けています。

そして、仮設住宅の住人は既に非難や差別の的にされています。昼間から酒かっ食らってパチンコばかりしていると。この物言いは生活保護利用者を非難するときに良く使われます。ほんの一握りの不心得者の存在がまるで全体であるかのように。この言説の裏には、言っている本人自身の生活破綻への不安があります。働きもせず金をもらっているという妬み嫉みがあります。3.11以前にも決して普通の人々の生活は楽ではありませんでした。将来には暗い不安が横たわっていました。震災後にはその暗い不安は極端に増大しています。放射能汚染による不安、ありきたりの日常が失われた怒り。本来は国や東電に向けられるべき怨嗟は、慰謝料をもらって生活している仮設の住人に向けられます。非難する本人は心理的逃避のメカニズムにより、ありきたりの日常を取り戻し、その怒りは真っ当な公憤であると思い込んでいますが。「絆」などはどこ吹く風、分断と排除はそこここで起こっており、この状況こそが貧困を隠蔽する原動力となります。

このような状況に対して反貧困活動はどの様なパースぺクティブを持ちえるのか。東京の人々はどれほど福島の現状に理解を示すのか。「復興大絶賛」の風潮の影に隠された貧困という問題にどの様に光を当てるのか。ちょっと意地悪な期待を持って集会に参加しました。

結論から言うと「反貧困フェスタinふくしま」にはこのような期待からは程遠い、余りにも低レベルの失望しかありませんでした。

湯浅誠氏は右手をポケットに突っ込んで話し始めました。まずこの態度にカチンと来ました。湯浅氏はのっけから「時間が無いので原発事故については話さない」と宣言しました。福島くんだりまでのこのこ出かけてきてそれは無いでしょう。そして、時間が無いと言いながら黒板に二重丸を書いて1時間ほどもかけて私的セクターから公的セクターへ金が回らなければならないということを抽象的にぐだぐだ続け、余りのつまらなさに居眠り者続出という体たらくでした。

生活保護制度の改悪についても、消費税の問題についても、TPPの問題についても、これは福島に限らず、反貧困活動においても大きなテーマだと思うのですが、一切言及されることはありませんでした。

質問の時間もとらず湯浅氏の話は終了し、休憩かと思ったら何が起こったと思います?福島市内の桜の聖母短大の学生がおそろいのTシャツを着て「がんばろう体操」を披露するというのです。ほんと、勘弁してくださいよという感じでした。テレビなどで散々子供や若者をダシに使った復興絶賛宣伝が垂れ流されて、ほとほと辟易しているのに、この期に及んで、しかも反貧困フェスタで「がんばろう体操」だと?がんばっても抜け出せないのが貧困の恐ろしさじゃないですか。私はあきれて、すぐに会場を脱出してトイレに行きました。トイレから出て窓越しに覗くと参加者全員が起立させられて「がんばろう体操」を踊っておりました。この物悲しくも悲惨な光景をみて「何じゃこりゃ」と思った人は私だけではありませんでした。顔見知りが近寄ってきて「湯浅 誠おかしくね?ポケットに手突っ込んで、何言いたいのかさっぱり判らなかった」と話しかけてきました。「全く癇に障る態度だよな。内閣府の参与になって、3.11以降は内閣官房震災ボランティア連携室長なんかになって辻元 清美のパシリやってたってのは本当なんだな。現場全然知らないし、すっかり行政の犬になったんだろう」「なんで反貧困フェスタでがんばろう体操なんだ。馬鹿じゃないのか」と散々こき下ろしていました。

15分近くも「がんばろう体操」に費やし、ようやくパネルディスカッションが始まりました。まず、補償問題に取り組む渡辺淑彦弁護士の話。避難区域内と避難区域外全てに対して具体的な補償の問題点を網羅しており、的確かつ簡潔に説明され、大変わかりやすいものでした。

次に「がんばろう体操」の短大準教授の二瓶由美子氏というパネリストが発言しましたがこれが酷かった。学生が皆戻ってきたので自分も福島に残る決意をしたという決意表明。あんたがどんな決意をしようが知ったことかよ。そんな決意を押し付けるんじゃねえ。

学生が「がんばろう体操」を引っさげ施設を慰問するボランティアを行って、大層学生が成長したという自画自賛。転籍も転入も他大学での単位取得も難しいのだから学生が戻ってくるのは当り前、飯の種が戻ってきて、さぞかし感涙にむせいだことでしょう。

そして、福島県のチェルノブイリ視察団に参加した話。ベラルーシ共和国独裁政権の説明員の話を鵜呑みにし、間違った放射能への恐れのために精神病が増えたと断言したのには恐れ入った。政治家とは協調すべきで対立するなあ?お前はベラルーシの広報官か。ウクライナの視察ではチェルノブイリ博物館の話。もう博物館の話かよ。配布資料を見ると博物館訪問の際の懇談会にはバンダジェフスキー博士も同席したようでした。セシウムの心筋への重大な影響を明らかにし、ベラルーシ当局から弾圧をうけた方ですが、その話は無しですか。ウクライナでも被災者の支援打ち切りの話が持ち上がり、被災者のデモの映像をニュースで見ましたが、その件も無しですか。

おまけに福島市に住んでいるくせに、福島の現状を、わざわざ除染ボランティアを推進する立場にある一橋大学の猪飼周平氏の文章をそっくり引用して説明するのです。私はこの猪飼氏の文章を以前に読んでおり、前提となる福島の現状認識に大きな誤認があること、様々な側面に目を配る振りをしながら、結局、牽強付会、除染ボランティアの正当性主張に終わっていることから全く評価できないと思っていました。曰く「

  • 1)福島県内でも福島県産の食品は回避されている。
  • 2)書店では放射能から身を守るためのハウツー本がベストセラーとなっている。
  • 3)街中で小学生以下の子どもをほとんどみかけない。」
(SYNODOS JOURNAL 原発震災に対する支援とは何か ―― 福島第一原発事故から10ヶ月後の現状の整理 猪飼周平 より引用)

いえいえ、福島県内では給食に福島県産の食材が使われ、スーパーは汚染地野菜の掃き溜めになっています。放射能から身を守るためのハウツー本にもピンからキリまで有り、どう考えても放射能安全神話とありきたりの日常生活にしがみつくためにこのような本を利用し、そこには深刻な心理的解離現象があるのです。街中には小学生以下の子供など元々いないし、郊外の公園ではたくさん遊んでいますよ。など逐一反論できるものです。にもかかわらず、福島市在住の準教授様から「よそ者」である猪飼氏の文章をそのままありがたがってご教示されるところにフクシマの知的貧困が如実に示されていると思うのですが。除染ボランティアが除染労働者の賃金低下圧力になる恐れは無いのでしょうか。これこそが貧困の問題に直結するのではないですか。猪飼氏は除染労働者よりボランティアのほうが勤労意欲が高いとほざいておりますが、これって、被曝労働者差別ではないですか。

私としては、せっかくベラルーシやウクライナに視察に行ったのなら、それこそ原発事故が経済に与えた影響、ソビエト連邦が崩壊したあと被曝者や避難者の経済的な問題はどうなのかということこそ知りたいと思います。ソ連崩壊後ロシアや東欧諸国では経済的困窮により売春のための人身売買が横行したのですが、ベラルーシやウクライナではどうだったのか、ジェンダー法学を専攻されている二瓶氏でしたらそういう視点からの提言があってしかるべきでしょう。しかしながら、除染が困難な現実をいやというほど突きつけられながら、「除染技術の確立が急務」などというとぼけた現実逃避のコメントを出す視察団に参加したのだから、この程度なのは仕方ないのかもしれません。視察から3ヶ月以上たってもまだ出ない報告書が近々出るようですから生暖かく見守ることにしましょう。そして、この準教授からは、福島在住にもかかわらず、具体的な貧困の現状という視点からの話は一切無く、しめくくりに、貧困の現場で極めて問題となる、上述した地域内の分断や差別を「小競り合い」と言い放って終わったのでした。

続いて前福島県知事の佐藤栄佐久氏から、言いたいことを全て言おうとした結果、大変散漫なしかも反貧困というテーマからはおよそかけ離れた話がありました。ただし、ところどころで会場の笑いを誘う面白さはありましたが。

以上を総括すると、震災や原発事故による経済的影響についての視点は、弁護士の補償問題への言及以外は見るべきものはありませんでした。むしろ、放射能安全神話に基づく除染復興礼賛により、経済的困窮の具体的な実態やこれから発生するであろう問題は一顧だにされず、抽象的で中身を伴わない「人間の復興」や「共同」が強調されていました。

これでは、貧困の可視化どころか再不可視化が進行するだろうとの危惧を抱かざるを得ません。例えば医療や福祉の現場の問題は逃げた医者や看護士や介護士のせい、農業を含む産業の経済的没落は逃げた事業主と風評被害のせい、経済的困窮に陥るのは除染日雇いにも応募しない怠け者、自主避難者の困窮など単なる自己責任といったように住民内の分断に拍車をかけ、貧困の実態が覆い隠されることになるでしょう。東電、国、自治体は大笑いです。

なぜ、反貧困フェスタがかくも堕落をしてしまったのか、その理由は福島大学のホームページを見れば明らかになります。「反貧困ネットワークふくしま」の共同代表の一人は福島大学の丹波史紀準教授が努めています。今回の反貧困フェスタのチラシを見てみると主催が「反貧困ネットワークふくしま、福島大学災害復興研究所」となっています。問合せ先は「福島大学災害復興研究所」です。それで福島大学のホームページを見ると「うつくしまふくしま未来支援センター」というものがあり、連携先として長崎大学・広島大学・日本原子力研究開発機構、そして最近は独立行政法人放射線医学総合研究所との連携も発表されました。なかなか錚々たる連携先です。丹波氏はこのセンターの「地域復興支援担当マネージャー」を担当されています。

実は丹波氏は「反貧困ネットワークふくしま」において中心的に活動されており、震災前は学習会や支援者養成講座を企画実施し、アカデミズムと実践活動との橋渡しや実践活動に対する、法的、理論的な支援を積極的に行っていました。私としては丹波氏の活動と国立大学法人にしてはまともな福島大学に敬意を払っておりましたのでこのような批判的な文章を書くのは大変残念です。

貧困の可視化によって、政権交代に絶大な寄与をした、反貧困の旗手湯浅誠氏は、内閣府参与となって、間違いなく権力に取り込まれ堕落しました。

そして、やはり恐るべしは文科省です。あっというまに本丸を押さえてしまったのでした。福島県立医大はとっくのとうに、山下俊一の手に落ちました。そして、国立の福島大学も私立大学も文科省の手に落ちました。公立の小中高校は直接の服従を強いられています。貧困という社会の矛盾が最も先鋭化する場面についても、文科省は容易くコントロールできることを示威しているように思えます。権威をもって一般の人々に発言する大学の教師が、このように転向し、服従し、この体たらくですから、後は推して知るべしです。

震災や原発事故による貧困の拡大は「復興絶賛」の影で闇に飲み込まれてゆくでしょう。フクシマの窒息しそうな空気はかくして益々その息苦しさを強めてゆきそうです。

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