2011/12/14
民法の教科書には「所有権」は完全無欠、法定物権の中でも最も強い権利であると書いてあります。
そして、汚物をぶちまけられたりすれば、所有権に基づく妨害排除請求権でその汚物の除去を相手方に直接請求することができるという事も書いてあります。
「所有権」はフランス人権宣言でも高らかに謳われ、これを侵害する国家権力に対しての抵抗権・革命権を根拠付ける古典的かつ強力な資本主義社会では最も基本的な権利です。
さて、3.11の大震災では東京電力という私人(私企業)が原発の大爆発を起こし、放射性物質と言う汚物を大量にぶちまけました。当然、汚物をぶちまけられた農地や土地、建物の所有者である個人や私企業も、公共物の所有者である自治体も、直接東京電力に対して、妨害排除請求権を行使し、放射性物質の除去を請求できるはずです。
しかし、現在、巷間喧しい「除染」とは民法に則ったこの妨害排除請求権の剥奪をその本質としています。
まず、東京電力は「除染」は我々の管轄では無い、と早い時期に断言しています。政府は「徹底的に除染する」と報道ではアピールしていますが実態はお笑い草です。テレビでは除染モデル地区の作業風景や自衛隊による除染、大臣による除染のパフォーマンスばかりが報道され、国が中心となって私有地、公有地の区別無く「徹底的な除染」が推進されているようなイメージが増幅されていますが全く実態を反映していません。
地方自治体もその所有する公共施設などが汚物で汚された場合その汚した私人(私企業)に対して、当然に妨害排除請求権を行使できるはずです。
しかし、横浜や埼玉など東電に直接請求している自治体は別として、この福島県では一切そのような動きはありません。
公園や学校などは自治体が業者を雇って除染作業を行いますが、道路や小さな公園は町内会などにたった50万円を限度とする助成金を出し、これで高圧洗浄機を買ってあとは住民のただ働きや除染ボランティアのただ働きで除染をしろ、ということになっています。要するに、正当な権利の主張は自ら封じ込め、地域住民やボランティアに無償のしかも被曝を誘発させかねない危険な奴隷労働を押し付けることが現在の自治体の仕事だということです。
このように、正当な権利の主張を捻じ曲げて物事を行うとどういうことになるか。
地域によっては、集めた汚染土の置き場をどうするかで揉めに揉めてさっぱり意思統一ができません。東電にやらせるべきだとの正論を吐くと、「被害者意識の塊」と役人から批判されます。除染を切望する子供の親とそもそも危険は無いと信じ込んで無駄な作業はやりたくない人々が反目し、非協力的な人は復興を妨げる非国民と非難され、避難した人々は復興に協力もしないで逃げ出したと非難され、しかし、実際大変な作業を「なんで俺達が」と思う人は意外に多く、結局、せっかく8月に組んだはした金の36億円の県予算はほとんど利用されずに、除染作業が頓挫しているというのが実情です。そして地域社会の分断と内向する怨嗟のみが増殖してゆくのです。
私有地についてはもっと酷いことになっています。
二本松のゴルフ場が裁判を提起し、東電に対して除染を求める仮処分の申請をしましたが却下されました。東電はそもそも放射性物資は「無主物」だとのたわけた主張をしていますが、さすがに裁判所も、極めて基本的な所有権に基づく妨害排除請求権の主張を東電のたわごとで否定することもできず、国の政策が確定されていないので仮処分の申請は却下との結論を出しました。立法権、行政権は言うに及ばず、司法権でさえ所有権を捻じ曲げるお先棒を担いでいると言わざるを得ません。
ゴルフ場ほど広大な私有地を持つわけではないがある程度の資力のある地主さんは、自分の土地の価値を守るためにとっくのとうに重機を入れて表土を削り、何台ものダンプカーでどこかへその土を運んでしまっています。いったいあの土はどこへ運ばれたのでしょうか。そしてその費用は東電に請求しているのでしょうか。
それほど資力の無い一般の人々は、持家の使用価値をごっそり毀損されていてもなす術がありません。本来なら東電へ除染作業を請求すべきですが、東電は最初から除染などする気はありません。
民法は私人間の関係を規律する法律です。揉め事が起これば最終的には裁判で決着をつけることになりますが、通常は民法の規定を背景として、それぞれの当事者が妥協しながら折り合いをつけることになります。ですから、裁判まで持ち込まなくても、社会的なルールとして紛争の解決に民法を使うことができます。しかし、すでに東電の拒絶と政府の加勢によりその前提は失われています。
そうなると裁判で決着をつけるしかない無いのですが、如何せん裁判管轄は東電本社のある東京地裁、多額の訴訟費用を負担するメリットがありません。原発が電力会社の本社から遠く離れた僻地に作られると言うことは、裁判も起こしにくいというメリットが電力会社にはあるのです。そして、資力の無い個人は自腹を切って除染業者に頼むしかないのです。
このような状況を見越したように、個人宅の除染についても一軒70万円というはした金を助成する制度の制定が行政によって画策されています。私たち福島県民は絶対王政下の平民のように「ありがたいことだべした」と涙を流してお上のこの施しを受けるのです。
私たちは所有権を毀損され、妨害排除請求権は剥奪され、ローン支払いの責任のみは重くのしかかるという、法的には犬畜生にも劣る扱いを受けながら、意識的にあるいは無意識的に、正常な日常生活を送る「振り」をしているわけです。
しかし、所有権が毀損されるということは、冷厳な市場原理に基づけば結果、交換価値、担保価値の暴落に帰結してゆきます。この暴落はローンが払えない、家土地を売らなければならないと言う状況に追い込まれて初めて顕在化します。勤務先が倒産、もしくは過酷なリストラに追い込まれる、自身もしくは家族が大病を患う、親につききりの介護が必要になるなど、3.11以前でも極当たり前、貧困への滑り台を滑り落ちる出来事が契機となるでしょう。そして、これもまた3.11以前にも当たり前だった「自己責任」という「理由」が、散発する個別具体的な悲劇を説明する言説として、原発大爆発を捨象した文脈で語られることでしょう。そのような事態に立ち至っても、大人しい福島県民は言語化されない恨みを抱えながら黙って死んでゆくのでしょうか。
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