原発事故被災者手記
ぽて人の郡山便り

この状態を何と呼べば良いのだろうか。私には「ファシズム」という言葉以外思いつかない

2011/12/07

1.久々の帰郷

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―― 失はれたものはかへつて来ない。
なにが悲しいつたつてこれほど悲しいことはない」
中原 中也 山羊の歌 「黄昏」より

先日実家の札幌で法事があり、久々に帰郷しました。

福島、千歳便は一日2便から1便に減便となり大変不便になっていました。

私は郡山市の賃貸マンションの6階に住んでいます。部屋の中は 0.18μSv/h 前後、外に出ると腰の高さですぐに 0.5μSv/h を越えます。雨が降っていれば今でも 0.8μSv/h はすぐに越えます。地面に線量計を置けば1μSv/h、場所によっては 4μSv/h を余裕で越えます。

札幌の実家では、家の中でも外でも変わらない。郡山市ではお目にかかったことも無い低い数値、0.08~0.1μSv/h で安定しています。地面に線量計を置いても変わりません。放射性物質など全く気にする必要の無い場所があるということをあらためて確認しました。そして、東京電力の原発が大爆発を起こし、大量の汚物がぶちまけられたことにより失ったものの大きさを、あらためて痛感し、愕然としました。

法事の席には親戚の人々が十人ほど集まりました。

「福島は大変だね」と言われ、線量計が大層珍しがられても、郡山の様子を話したら、「ふうん」という反応。すぐに話題は最近の海外旅行の土産話、来年はどこに行こうか、AKB48が札幌でも握手会をしたとか、日ハムベイスターズがどうしたとか、極々当たり前の他愛の無い会話と笑い。

放射性物質というのは、得体の知れないものです。毎日(年間ではない)100mSv 浴びても問題ないという学者もいれば、微量でも危険と言う学者も存在します。本当に安全なのか危険なのか、今のところ判りません。けれども、疑いの無いことは、それが存在するだけで、当たり前の日常は完全に破壊されるということです。「俺は気にしない」とか「大丈夫だ」と思う必要も無い当たり前の日常が。

放射性物質は現として存在しています。その存在自体を否定することはできません。そして、それぞれがおかれた状況に強いられて、安全から危険という幅の広い情報から選択をせざるを得ません。そして、避難する人を非難し、避難しない人を非難し、危険を指摘すれば、ことさらに危険を煽ると非難され、安全を強調すれば情報操作に洗脳されていると非難され、職場でも、家族間でも、友人間でも会話には用心深さが必要となり、時には修復が難しい亀裂が入るという、本当に余計な重たい荷物を負わされることになるのです。東電がぶちまけた汚物のせいで。

郡山市では表面上は普通の日常生活が続いているように見えます。しかし、ぽつぽつと売家が増え、空きテナントが増えています。「先週の空間線量2.5μSv/h」と言う看板が安全を誇示していたはずの公園は、除染の掛け声とともに、芝生が剥ぎ取られて地肌がむき出しになっています。

そのなかで、大部分の人たちは、放射性物質について考えることに倦み疲れ、原発爆発以前の日常がそのまま続いているという「振り」をして生きているように思えます。

まだ、あまり汚染されていない地域の方々に是非理解をして欲しい。あなたたちの極々当たり前の日常がどれほど貴重なものであるか。そして、この地震大国日本で原発が存在していることが、どれほど、危ういことであるかを。

原発絶対拒絶。余計な重荷を背負った私からのメッセージです。

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