2012/03/07
原子力発電所から遠く離れた場所に住む私達は、原発は安全だと思っていたと言うよりも、ほとんど原発について考える機会など、なかったのではないでしょうか。原発に関わる人間だけが、今までうまくやってきただけで、原発を反対する人達のことなど、極端に騒ぎすぎだと捉えていたのではないかと思います。
私もその一人でした。
電気は生まれた時から当たり前にあったし、小学校の時なんかは、原子力発電所がどういうところなのか、社会科見学で行ったりして、へー、電気ってこうやって作られているんだ、すごいなあと思って、それ以上興味がなければそれでおしまいでした。
子ども達にまでそうやって、実態まで教えてくれなかったんだよなあと、今考えれば、卑怯だな、結局は大人の都合だったんだなあと、なんだか悲しくなります。
私は震災で原発が爆発して初めて、原発がどうしてできたのかということ、核実験してきたアメリカにより被害を受けた日本のマグロ漁船第五福竜丸のこと、広島の原爆のことなどなど、それに関わるいろんな歴史を辿り、ある意味勉強させられました。また、今現在福島で起きている現実を、一部だけでしか取り上げず、当事者が泣き寝入りするとか、お金で解決させられるといったような風潮は、昔から、全く変わってはいません。
確かにすべてがすべて、納得がいくような結論になんかならないかもしれませんし、補償や保険はそのためにあるんでしょうが、まるでそれが当然のような空気があります。
何故、そんなことになったのか、原点に戻ってもっと見極めていかなければ、事態はつかめないのです。
今回の原発事故に関しては、単純に考えすぎて、他人事のようにしか思っていなかったことに、自分自身も反省すべきだと思っています。
見て見ぬ振りをしてはいけないことは、どんな時もありますが、原発事故による放射性物質の拡散は初めてのことなのですから、政府が「直ちに影響はない」と発する言葉そのものを、もっとその先を、追及しなければならないと思います。
繰り返し、繰り返し、何度考えても、きっとすごく大変なことなんだと思うと、こんな国策や電力会社のことなど自分は関係ない、それは作った人が何とかしなければいけないことだろう、悪いけど忙しくていつまでもそこまで考えてなんかいられない、誰かがやってくれるだろうと言う気持ちになります。本当にもう、こんなことに振り回されたくはありません。目に見えないから、気にしなければ生活はできるのです。でも「赤信号、皆でわたれば怖くない」ということ、「くさいものには蓋」をすること、「周りが皆そうしているから」という集団行動が、未来の子ども達を犠牲にするかもしれないのです。
悪いと思いながらも黙っている大人がそうしているんです。
事実を知ったら、その人一人一人から声をあげていくべきです。
5月2日、文科省に年間20ミリ撤回要求に行った時の映像に、あるお母さんが映っています。
子どもをすぐに逃がしてくれるよう強く訴えておられました。
そのお母さんは、白血病で29歳で亡くなった嶋橋伸之さんの母、美智子さんでした。
伸之さんは高校卒業後、中部電力浜岡原子力発電所で働いていました。
1991年11月、慢性骨髄性白血病で亡くなりました。18歳から8年10ヶ月勤めて発病、それまでに 50.63mSv の被曝をしていました。
今の福島の線量がどんなか、想像して下さい。
今の福島は通常の生活をしながら、周りの空気がその線量、もしくはもっと高い線量のところ、たくさんあります。震災直後よりだんだん下がってると言いますが、今までどれだけ高かったか、そして今の線量はどういった線量なのか、です。人がそこで農作物を作り、食べています。しかも小さい子どもや、妊婦さんも生活しています。そこで空気を吸って生きています。体質や免疫力はそれぞれ違うんです。いろんな種類の放射線が土に山に、すべてに、散らばっているのです。
嶋橋さんと状況は違えど、このまま何年かしたら、同じような症状に悩む可能性があるかもしれないのです。
嶋橋さんは線量が高い仕事場で、家に帰れば線量はまた下がるのでしょうが、積算でそのぐらい被曝をしていました。
電力会社側からは、労災金額に見合った額 3000万で和解してくれと、これ以上請求しないと約束するよう言われました。遺族の苦しみは、当人しか判らないかもしれません。
美智子さんはどうしても息子さんの死が本人に落ち度があってのことだったのか、それとも仕事が原因だったのかはっきりさせたいと、労災認定の申請をしました。申請から1年以上掛かり、労働基準監督署に認められました。それでも中部電力は、「法定の年間被ばく限度 50mSv 以下で、認定は被ばくと病気に直接的な因果関係があることを意味していない」と言い張りました。そう言われる方の身になっているとは全く思えません。
伸之さんの放射線管理手帳は会社からなかなか返されず、返された手帳は訂正だらけだったそうです。
「訂正はやむを得ない部分があった、本人に病名を悟らせないための配慮、線量の訂正は、手で書き込むために起きた単純ミス、手帳の返却が遅れたのは、正確な線量を確認していたため」 などと、言い訳がましい言葉を並べていました。いったいどう理解しろと言うのでしょう。
遺族は納得がいかず何度も何度も繰り返し、戦わなければなりませんが、こういった事実を知ったうえで、今後の福島はどう配慮すべきかを、考えていかなくてはいけません。
美智子さんは、息子さんの死を無駄にしたくない思いで今までたくさんの原発に関わる問題と戦ってきたそうでしたが、年を取ったのでそういう場に出向くのも億劫になっていたと聞きました。
でも今回ばかりは、たくさんの子どもが犠牲になるのではないかという危惧があったから、これは行かなければいけないと立ち上がってくださいました。
私はこのことを、文科省に行った事で知りました。きっかけがなければ、わからなかった事でした。
こういった思いをしている人達がどれだけいるか、福島の子ども達の為に、動いてくれていることを、福島の人は知らなければならないと思っています。
昨年10月、放射線に関心が高まっているということで、子どもにも自ら考え判断させるためにと、文科省で副読本が作成されました。原発が爆発しなければ、こんなことはなかったはずです。その中身は、決して間違っているのではないのですが、まるで理科の勉強みたいに、子ども達がちょっと興味を持つような記載の仕方のように取れます。あまり怖がらないようにということを言い聞かされているようですが、果たしてそれでいいのでしょうか。
原発事故の影響で、避難を強いられている人達がまだたくさんいる中、こういう取り組みは、決して悪いとはいいません。子ども達に教えていかなければいけないのも大人の責任です。しかし、今まで利益ばかりに気をとられた大人達が作りあげてきたモノの尻拭いをさせているようでなりません。
これから子ども達まで放射線の勉強をしなければいけない環境になりつつあることはどういうことか、放射性物質は、人間の体にいったいどんな影響を及ぼすのか、被害にあわれた人達の事実もちゃんと交えながら、しっかり伝えていってほしいです。
Copyright(C) 1995-2012 Survival Network. All rights reserved.