原発事故被災者手記
馨(けい)の放射戦記

4人の子供と母親の原発事故との戦いの記録

2012/03/16

8.放射線測定・・・避難より保養を選択していた理由

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不安な人達が集まる機会があったのが4月末から5月、300人近く集まったその中で、私達はまずどうしたらいいのかを考えました。自分自身、ある程度の危険性を感じていた状況で、もう被曝はしていることも判っていましたが、避難しようとは全く思っていませんでした。と言うか、思えませんでした。

その場には、私のような不安な親や、農家の方、県外の方、市民団体の方々、レストランを経営する方、消防士、教員、大学生、報道関係者・・・とにかくいろんなところから集まり、一緒に考えてくださいました。一度全員で話し合ったあと、地域毎に分かれても話し合いました。それから、知識を高め学習する班、防護策を考える班、測定をする班、避難や疎開を考える班など、4つか5つのグループに分かれて、興味のある班に集まり、それぞれに話し合いました。

私が選んだのは防護班でした。

その理由は、もう被曝はしているし、この土地で生きるにはそれしかないと単純に思ったから。

避難なんてうちは無理、だったら防ぐ方法しかない、県外に行くなど絶対ありえないと決め付けていました。

避難を選んでいる人ももちろんいました。今だから言いますが、ちょっと神経質だとも思っていました。半分は政府の言葉の「大丈夫」が頭にありました。そう考えたい気持ちがあったのも、端から避難なんか出来ないと思っていたからかもしれません。

防護については、身体に取り込んだ放射性物質を排除するにはどうすればいいかという内容で、チェルノブイリでも実例があるりんごのペクチンの話や、玄米、味噌、豆類など、一般的に日本食と言われる食品にも効果があること、炭パウダーを服用すること、酵素の話、リラクゼーションの内容でも、排毒できるマッサージなど、本当にいろんな話が出ました。私には提案できるものなど全くありませんでしたから、とても必要な情報ばかりで、皆すごいなと思いながら聞いていました。

あの時同時に、測定の班から声を掛けられ、測定の協力をしてほしいと頼まれました。私が住む飯野町は原発から50km 内、福島市の中では一番原発に近くて強制避難区域の周辺という理由で、簡易測定器を渡されました。そして測定器の説明を受けました。

それから毎日、定点観測をするようになりました。場所は屋内と屋外、朝、昼、晩の観測。日時、経度、緯度、天候、風向き、地面からの高さ、周りの環境はどんな感じかなど、とにかく細かな条件はできるだけ全部記録し、それから測定した数字を記録しなければなりませんでした。それを何箇所かやっていました。結構大変でした。その頃はPC入力がまだ整っていなかったので、用紙に記入しながらの測定でした。

私が借りた測定器はRADEXというウクライナ製のもので、主にガンマ線を拾う機種。あくまでも簡易測定器で、他種の放射線は測定できません。ですから、全部の放射線を拾うインスペクターという機種でも、たまに借りて、2台を並べて測定したりもしました。その機種は感度が高く、空間線量を測定中、強い風が吹いたりするとすぐ数字が1μSv/h 以上上がって、風が落ち着くと下がり、放射線量は風でも変化することがわかりました。

空間線量(地面から1m位)と、地面から1cmの線量は、全然違いました。地面にはたくさんの放射性物質が含まれ、そして、場所によって条件も違うため、そこでも線量が変わってくることも理解できました。落ち葉が溜まる所、湿気の多い場所、雨水が溜まるような、ちょっと窪んでいるような所、水を吸い込みやすい人工マット、芝生、苔の生えているような所、側溝などはいきなり高い数値を示したりしていました。物陰だったり、屋内でコンクリートに囲まれていたりする場所は、低く示しました。でも木造だったり、屋根、雨樋の近辺などが近かったりすれば、高く示しました。雨が降れば徐々に地面に浸透することも解りました。道路などは雨が降れば下がるなどという話を聞きましたが、染み込むアスファルトは放射性物質が隙間から入り込んでしまい、土壌より高い場所もあり、水で流しても残りました。コンクリートだって、雨樋の雨がずっとあたっているところなどは、いくらタワシでゴシゴシ落としても落としきれず、剥がさなければいけない状況でした。しかし、水で洗い流した放射性物質は、流れた場所に留まる事も解りました。つまり、「消えることがない」のです。そして、RADEXとインスペクターを並べて計測すると、同じ場所で測定しても、まるっきり違う数値が出ました。特に地面で放射性物質が集まる場所。RADEXでは2.0μSv/h でも、インスペクターではその10倍の20.00μSv/h 以上を表示しました。それはガンマ線以外の物質がそこにたくさん含まれているということになります。どんな物質なのかは、その部分を取り出し、専門の機関で良く調べなければわかりません。こんな場所が何箇所もありました。

測定を毎日していると、いろんなことが判ってきましたが、その分不安も比例して高まっていきました。それでなくても仕事や家事だってやらなくちゃいけないし、疲れて途中で嫌になることがしょっちゅうありました。

毎日毎日、いったい私は何をやってるんだろうと。でも、やっぱり続けなくてはいられませんでした。

「除染」という言葉は、その頃から広まっていきました。学校の校庭や公園の除染について住民に説明をし、校庭は、表面を削り取り、汚染された土は遮蔽シートで包み、掘った土の中に埋め、表面にきれいな土を敷きました。0.2~0.3μSv/h にはなりましたが、除染を全くしていない山々に囲まれた土地では、不安は拭えませんでした。

震災から一年が過ぎ、私の記録を読んだ人の中には「もう解っていることだ」という方もいるかもしれませんし、「そうだったんだ」という人もいると思います。

私は素人だから、あちこち捕らえ方が違っているかもしれません。

これからはもしかしたら、一般の人も、子どもも、放射線の知識が知らず知らずのうちにちょっとずつ備わってくるかもしれません。私もこれから「そうだったんだ」ということがいくつも出てくるかもしれません。

しかし、私のようなただの一般の主婦で、当時同じような経験をした人は、いったいどのぐらいいたのか・・・。簡易測定器を手にしたあの頃、一般の人はほとんどそれを持っていませんでしたし、もちろん売ってもいませんでした。たまたま集まりに行ったことがきっかけで測定をするようになったかもしれませんが、何でこんなことしなきゃなんだろうと思いながらも、どうしても許せなかった事実が、私を動かしました

そんなことをしていた梅雨の時期、私がいつもお世話になっていた歯医者の先生が、北海道に避難していることを聞き、電話をしました。その時の不安な状況を色々話し、先生の話も聞かせて頂きました。

先生は、あの3月11日当日、知り合いから連絡が来て、これから爆発するから避難しろと言われ、すぐ言うとおりに避難をしたそうで、でも親や友達に言っても、なかなか理解してくれなかったと、後から聞きました。

早くに避難した人達は、その人達にしか解らない辛さがたくさんありました。

我が子を守ることだけを、命を守ることだけを優先し、夢中で遠くへ避難したことを話してくださいました。

北海道では、たくさんの支援があるから、とにかくおいでと先生に言われました。しかし、たくさん悩みました。うちばっかりこいって言われても・・・という思いが巡っていました。これだけ危険だと解っていながらそんな気持ちになるのは、無味無臭で痛くも痒くもないし、とにかく家族も友達も近所の子どもも皆が生活していて、普通に仕事も学校も行っているからでした。

しかし子ども達の中には、毎日マスク長袖、なるだけ土を触らないなど、それぞれが我慢の日々を過ごしていました。不安を抱えた親達は、食べ物や水をとにかく気をつけ、窓もなるべく開けないように、洗濯物も室内で干したりしていました。

先生は北海道でたくさんの人達と繋がり、夏休みに向けた「サマーキャンプ」という保養の企画をしてくださり、ネットでたくさん声を掛けたら、すぐにいっぱいになりました。同じ思いのお父さん、お母さんがいるんだと、その時実感しました。子ども達は大喜びでしたが、私達は保養をしなければならない状況なんだと、複雑な気持ちでいました。保養に行ける人も全員ではなく、一部の子どもだけしか参加できず、早いモン勝ち、ネットを見なければ解らないといった人達がたくさんいました。

だから殆どは、気にしてもしょうがない、普通にしてたほうがいいという気持ちになるのは、当然だったのではないでしょうか。

7月から8月の夏休み中、うちを含む約40名の親子は、北海道の支援を一ヶ月受けることが出来ました。子ども達は今まで出来なかったことが当たり前に出来て、とても伸び伸びとしていました。そのときの笑顔は、今も目に焼きついています。

でも、芝生に寝転んだり、きれいな川に足を突っ込んだりする姿は、見ていて何故か胸が締め付けられるように苦しくなりました。

よく取材やテレビの質問で、「帰りたいか帰りたくないか」を聞かれる場面がありますが、何故そんなことを質問するんだろうといつも思います。

だって、誰だって帰りたいに決まってるじゃないですか。でもその故郷が汚染されてしまったら、帰りたくても帰れないのですよ。

それなのに、政府や東電はその辛い思いを逆手にとって、「皆帰りたいと言っているから帰そう」などと、わざと努力して見せているだけです。しかも素人がやってはいけない除染を一般市民にお金を払ってやらせて、なんとしてでも帰そうとしています。バカにしています。

さらにその除染をビジネス化してしまい、時間が経つにつれて除染が当然のような風潮に変わっていくのでしょう。

現在は震災で出た瓦礫を受け入れるか入れないかの問題までもお金で釣って、利益を求める地域は「みんなで受け入れないでどうするんだ、それじゃ復興が進まないじゃないか」と、まんまと政府のやり方に引っかかりながら頑張っている姿を見せているのです。

どっちが復興を遅らせているのか、もっと考えてくださいよ大人達。他の土地に運搬する費用だけで莫大なお金が掛かりますよね、もろに利益を求める大人の考え方です。そのお金を被災地でもっと有効に活用できるはずです。被害にあった地域はどこも自分の土地で何とかしようと考えているのに、被災地の声は聞かず勝手に政府が話を進めているだけ。どう考えたっておかしな話です。

気づいた人間だけでもいいから動いて伝えてほしい、その腐ったやり方をひっくり返し、もっと効率のいい復興を考えていきたいです。

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