原発事故被災者手記
馨(けい)の放射戦記

4人の子供と母親の原発事故との戦いの記録

2012/03/01

6.もしもネットがなかったら

← 前の記事

次の記事 →

震災後、毎日のように新聞やテレビで情報を入れていました。家のパソコンに向かう暇もなかったので、携帯のネットでも情報を入れていました。とにかく、マスコミの情報を読むたび本当にこれでいいのかと気になっていました。危険性よりも、こんなに安全です、大丈夫ですと言われ続けていたために、逆に不安になってネットで調べていました。

今となっては、携帯がなかったら、何も知らずにいたんだよなあと思うと、恐ろしくなります。見なかったほうが、聞かなかったほうが、どれほど楽だったろうとも思います。

たくさんの人と繋がることができ、短文投稿出来る情報サービス、ツイッターは、震災前に登録はしていましたが、あまりよくわからずほとんど使っていませんでした。震災時、このツイッターがかなり役立ったと聞いたので、私も再び使い始めました。そこで私も、今の心境や状況を書いていました。貴重な情報もたくさんの人からもらっていました。情報を共有できると幾分か安心しました。同じ気持ちの人がいるというだけでも不安が軽くなりましたが、目の前に起こっていることに驚いてばかりいました。

ただ、ネットには嘘の情報や、人を傷つけるような、読んでいて不愉快になるような誹謗中傷もたくさん流れています。その中で確実性を見極めることは個人の問題ですが、なるだけそういったことに振り回されないように、法律の事を調べたり、専門家の話など、参考にしていました。

意見が皆バラバラで、一体なんでこんなことになっているのかが最初は分かりませんでしたが、疑問に思うことを一つ一つ辿っていく度に、不信感が湧きました。私達福島県民は、全国民は、騙されていると。

こんなめちゃくちゃなやり方がよくも罷り通ってるなと、政府はどうせこんなもんだ、仕方ないことだと分かっていながら大人は目を瞑っているのかと、怒りを覚えました。

放射線量はずっと緊急事態なのに、騒然としていた環境がだんだん落ち着いてきて、今では線量が高いのに気にしない人が多いのは、「直ちに影響がない」「100ミリ以下は大丈夫」とマスコミが謳っていたからです。危険かもしれないというニュースは、なかなか受け入れられない状況にされていました。

私はたまたま、放射線を測る簡易測定器を手にしたから、意識していられました。

放射線は普通の生活の中では目に見えません。こうして目の前に数値を見せられ、測定器のアラーム音を聞かなければ、痛くも痒くもないから、何も感じ取ることができません。

私が手にした測定器は、主にガンマ線を拾う機種で、RADEXというウクライナ製のものですが、0.3μSv/h 以上になると、アラーム音がなる設定になっています。

まず、その意味を考えておきたいです。

通常、何も異常がない時の線量(福島市)は0.05μSv/h 前後。アラームが鳴る程の線量じゃありません。アラーム音は0.6μSv/h、1.2μSv/h に設定を変えることができますが、私の住む家の中でも0.7μSv/h や0.8μSv/h はありましたから、0.3μSv/h の設定ではアラーム音が鳴りっぱなしでした。だから一番高い1.2μSv/hに設定しました。でも屋外は、設定を上げていてもアラーム音が鳴っていました。

放射線は「できるだけ浴びないほうがいい」ものなのに。

いつの間にか放射線は「当たり前」に受け止めるほかなくなっていました。

法律上放射線管理区域と言われるところで、本当はそこに子どもがいること自体ありえないことなのに、それを知らされずに、普通の生活をさせられているのです

政府も東京電力も、無責任な発言ばかりでした。緊急避難時、避難で逃げている時、通行止めになっていた道を、公務員の家族だけ通されたとも聞きました。あくまで一部の話かもしれませんが、不平等なことは平然と行われていました。

福島県では、市町村によって、独自に進んで学校に扇風機を付けたり、除染をしたり、測定したりしているところもありましたが、福島市は本当に後手後手で、市民が騒いでやっと重い腰を上げ、話は聞くと言ったような感じ、まるで国民が悪いかのようにも取れ、県庁のある福島市がいったいなにやってるんだろうと苛立ちを隠せませんでした。

とにかくどこの行政でも、進んで子どもを避難させようとはしませんでした。きっと、その中で思いがあったとしても、上から圧力を掛けられ、口を噤んでしまうんでしょう。こんな時に、呆れます。

原子力発電所で働く作業員達は、とんでもない過酷な現場で作業されているのでしょう。マスコミの報道だけでは分からない、私達国民が知らされていない事実がたくさん起きています。国民の不安を煽るから、言わないほうがいいと言って教えてくれませんが、事実をきちんと言わない政府のほうがもっと不安でもはや信用もありません。

作業員は命と引換えにお金をたくさんもらって働いているんです。その家族も、周辺の住民も、原発があるために潤っていました。それでいいじゃないかという人もいるでしょう。でも原発から離れた人間や子ども達は何も分からないんです。何も知らされていないんです。

原発が爆発して放出された放射線は、風に乗り、どこまでも飛んでいきます。風量、風向き、気候で、飛散の仕方も方向も変わります。そんなこと、あってはならないことなのに、事故だからと済ませるつもりなのでしょうか。自然界に存在する放射線と影響は同じだと、どこかの専門家は言っていましたが、生物とともに進化し共存してきた放射線の上に、人工的に作られた放射線が上乗せされたのですから、はっきり言って一緒にされてはたまりません。影響はもし同じだとしても、訳が違うのだから別に考えるべきではないでしょうか。

避難区域を20kmとか30kmとか、どこの町とかどこの村とか、そういう区切りをするのは、壁があるわけじゃないのですから、福島だけで留まるということはありえません。県外にも海にも、もちろん海外にだって飛んでいくことまで考えなくてはいけないことです。なのに政府は、事態を小さく見せようとばかりして、できる限り小出しにしていました。そして、女性の放射線業務従事者の許容量と言われる年間被曝量20mSv を、何も知らない子どもにまで許容しました。通常、一年で20mSv を被曝する人は、原発作業員でも稀だそうですが、福島が今、年間 20mSv を許容させられなければならない状況だということ、そして官僚も政府も東電も、何の指示も出さず、国民を無防備で住まわせたという事実は、決して忘れてはいけないことです。

その時内閣官房参与だった小佐古敏荘氏は、政府や東電のやり方が法と正義、国際常識にも反していると抗議し、涙を流しながら辞任しました。なにも知らない人達はいったいなにがあったのだろうと他人事のように受け止めていたかもしれませんが、目の前に起こっていることに、もっと目を向けて考えていかなければ、ほとんどの人はうまく誤魔化されて時間と共に忘れ去ってしまいます。

もう震災から1年が経とうとしています。

他のニュースに消されてしまわないよう、国民は、というよりもまず福島の大人達こそ、あの頃を振り返り、もう一度改めて現実を受け止めながら訴えていく必要があるのではないでしょうか。しょうがないでは済まない事が起きているんです。全国各地に、福島の子ども達を心配している人達がいます。それはあってはならないことが起きているからです。何もできなくても、目を向け、意識することだけで、未来を守ることに繋がっていく可能性があるのですから、すべての大人達が意識したら、すごい力になると思います。無意識が子どもを犠牲にする引き金になることは、いうまでもありません。

Copyright(C) 1995-2012 Survival Network. All rights reserved.