原発事故被災者手記
馨(けい)の放射戦記

4人の子供と母親の原発事故との戦いの記録

2012/02/23

5.仕事に集中できなくなった私

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私の仕事は保険の営業でした。

だいぶ慣れて、いい上司やお客さんにも恵まれていましたし、職場も隣町の川俣町で自宅からも近くて、マイペースではありましたが、子どもがいる私にとっては融通の利く仕事でもあり、有難い気持ちで仕事をさせていただいていました。

震災時、浜通りの営業所は被災し仕事ができなくなり、川俣の職場には次々に支援物資が運ばれ、山積みになっていました。震災後1週間以上休業しましたが、私は3月24日から子どもと県外の親戚の家に避難して、4月に学校が開始する前に福島に戻るまでは休みをもらっていました。出勤してからは、職員全員でお客様の安否確認や事務処理の対応に追われていました。津波の被害にあわれたり、避難されたと思われるお客さんはなかなか連絡が付かなかったりで時間も掛かっていましたから、浜通りの職員さんは本当に大変でした。

それぞれみんなが落ち着かない中でも、落ち込んではいられず、気持ちを切り替えながら働いていました。津波で家や家族や友達を無くし、原発で、強制避難を余儀なくされた人達がたくさんいて、こうして仕事ができて家もある人間はまだ幸せだと思わざるを得ない状況の中、私の中では、政府や福島県、学校などのやっていることに対して納得できないことがたくさんありすぎて、もやもやした気持ちがちょっとずつ膨らんでいました。

知らないでは済まされないと思い、周りの友達や知り合いには、今の放射線量では子どもは普通に生活していてはいけないことや、政府が過小評価していることなど、とにかく知り得た情報はできる限り伝えていました。

仲のいい友人は、私の前では真剣に聞いてくれていましたが、その友人は別のところで、私がおかしくなってしまったというようなことを言っていたと、別の人から聞きました。 それは到底、仕方がないことですが、きっと皆そんな風に思っているのかもしれないと思いました。でもいつしかどっかで吹っ切れて「まあいいや、ホントのことだから」と自分を信じて言い続けていました。

法律とか放射線量にもともと詳しくもなかった私に色々言われたって、混乱するだけで、信憑性もないのかもしれません。これだけの情報があり、専門家の意見も皆違っているのですから、私も混乱状態でした。とにかく冷静に判断しないといけないという気持ちはありましたが、これは違うんじゃないか、もしかしたら何かの間違いではないか、混乱するなら黙っていたほうがいいのかもしれないとか、言うにも本当に色々考えながら、友人だからこそ、家族だからこそ、聞いてほしくて話していたつもりでした。

近所の人達も友達も、皆すごく楽しい人達ばかりで、色々ありながらも結構仲がよくて、本当にうまくいっていたのに、こんなに原発から離れたところに住む人間まで何故振り回されなくてはいけないんだろうとか、何でこんな思いしなくちゃいけないんだろうとか、気づき始めていた人なんかはほとんどそう思っていると思います。

チェルノブイリなどのような大きな事故があっても、その経験を生かすことなく未だにこういった放射能汚染の認識の食い違いが続いているなんて、あってはならないはずです。

私はたまたま震災があったから、そして子どももいたから、気になって仕方がないのかもしれませんが、遠くに住んでいて子どももいなければ、もしかしたらここまでの気持ちは起きなかったかもしれません。だからこそ尚更、これからの若者や子ども達に対して、今まで考えもせずにいたことを、大人として本当に申し訳なく思うようになりました。

迷惑がっていた友人や家族も、今となっては子どもだけでも避難させたいと思うようになってくれましたが、家族の反対や、仕事などの理由で、なかなか決断することができず、我慢しながら生活を続けています。

間違っていることに気づいたら、気づいた人が言わなければ、誰も判らないでそのままになってしまいます。

しかし私のような一般市民が必死で学校に言っても、役場に言っても、政府の決めたことなど当然変わるわけがありません。

先生も役場職員も、文句を言いながら、決めたことだから仕方がないんだと受け止めてしまって、必要以上動くことはなるべくしません。間違っていることを誰かが気づいても言えないのは、今後の仕事に差し支えるからです。

反発するものは切られます。そんな中で声をあげるのは、本当に勇気が要るんです。何故大人達はこんな空気を作ってしまうのでしょうね。そんなやり方では、人間らしい生き方ができなくなってしまうのに。結果的に上の指示の言いなり、ただのロボットです。

まあ、そのほうが楽だろうという人もいるかもしれませんし、生き方はそれぞれ自由でしょうが、そんな組織は長くは続きません。それは今の日本政府のボスがコロコロ変わることで証明されていますが。

この体質を変えていかなければいけないことを大人が気づいて行動しないで、いったい誰がやるんでしょうか。

何の取り柄もない私ですが、この状況に耐えられず、いつも通りの仕事がいつの間にか手に付かなくなっていました。

会社の朝礼でも、お客さんのところへ行っても、何をしている時も、思いを抑えようとすればするほど、自分のやらなければいけないことに集中できなくなっていました。

会社からは、なるだけお客さんには不安になるようなことは言わないよう言われていました。政府と一緒ですが、客商売ですから暗い顔で営業はできません。でも真実は伝えないといけないと思っていた私は、あまり躊躇せず、情報提供はそれなりにしていました。できるだけ気持ちを落ち着かせるためにそうしていたのか判りませんが、放射線や原発の本を読んだり、今の政府の取り組みがどうなっているのか知りたくて国会中継を観たり、新聞を読んだりすることで、なんとかバランスが取れているような感覚になっていました。

とにかく、自分の気持ちに蓋をすることができなくて、でもしなければいけなくて、どうしようもない状態で、あまり睡眠が取れていませんでした。一時期、誰にも会いたくないこともありました。家族と話すのも怖くなっていました。しかし仕事上そんなわけにはいかないので、無理矢理、頭を無にしてやっていました。

このまま自分も後ろ髪を引かれながら、自然に余計なことは忘れてしまうんだろうかと思いました。周りの空気に合わせながら生きた方が遥かに楽で、今まで通り普通の生活ができるわけだから、いろんな問題に首を突っ込まないほうが本当は利口なのかもしれません。

でも、時が経てば経つほど、黙っている自分自身が許せなくなっていました。

今回の原発事故は、震災がきっかけだったかもしれませんが、事故が起き、強制避難になることは、以前からICRP(放射線防護委員会)で予測していました。

しかも、原発周辺の住民がどう考え、どう行動をするかという予測までしていました。住民に避難指示を出しても、人々は今まで生活してきた場所から離れたくない気持ちが強いというようなことまで。それはわざわざ予測してもらわなくても、誰もが当事者なら当然思うことなのに。つまり、そこまで「想定内」だったんです。すべて筋書き通りなのです。

避難指示を大きく出せばパニックになる、お金も掛かる、なるだけ避難せずに済ませる方法を考え、なるだけ被害を小さく見せて、国民に不安を与えないように「安全だ、大丈夫だ」と言い続け、知っている人だけが避難し、何も知らない国民はそうやって犠牲になるのです。

指示を出す人達は利益ばかりを求め、どこからか思考回路が狂っていきます。そういう人達は責任を問われた時「私は言っていない」と白を切ります。

責任を取って辞任したとしても、今までもがっぽり税金を受け取ってるわけで、生活はできるのでしょうから、きっと笑いながらざまあみろと思って生きているのでしょう。

そんな性質の大人達は政府にいらないのに、何でそういう人がのし上がっていくのでしょうか。

こんな日本政府の体質を、国民は昔から呆れてみているだけなんですよね。今に始まったことじゃないと思う人もいますから。

子どもでもわかることでしょうが、原発がなければ済む話です。

でも日本政府は、原発の事故は起きると判っていながら、国民に安全だと言い続け、見栄を張り、儲けることばかりをずっと考えてきました。電気を作る方法がたくさんある中、わざわざ原子力発電を選ぶその理由は他でもない、利害関係しか見ていないのです。「低線被曝」「内部被曝」より、「外部被曝」重視なのは、そうしないと原子力産業に支障を来たし、都合が悪くなることばかりだから、低線量の放射線が人体にどんな影響を及ぼすか「わからない」のに、はじめから考慮に入れないで対処してきたのです。だから子どもの未来の命を守るなんていうことまで考えるはずがありません。

国民が黙っていたら、この先日本はいったいどうなるのでしょうか。

私はこの国のやっていることがとても怖いです。同じ人間なのに、同じ島に住んでいるのに、今まで騙され続けてきたことに、憤りを感じています。

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